星に願いを
ふわとろ。
ライターとして文章を書くようになって、そろそろ8ヶ月が経ちます。
そろそろ「駆け出し」という言い訳が使えなくなるんじゃないかとヒヤヒヤの一身上の都合です。
最近は、初めて文章でお金をもらった日のことを思い出します。
何もかもが上手くいかないような気がして、どうして自分だけ取り残されているんだろうって焦って、まわりを妬んでばかりいました。
そんな折、ライティングの「ラ」の字すら分からなかった僕を褒めて伸ばしてくれた、恩人とも呼べるクライアント様と出会いました。
文章は稚拙、書きたいことを書いて、クライアントの意向は二の次。
ライターの風上にも置けない僕を見て、その方は叱るどころか褒めてくれました。
「無個性のライターさんとは違って、すごく素質があると思います」
その言葉は当時の僕にとって、たった一つの希望でした。
文章しか残されていない、と感じた僕は狂ったようにライター業に打ち込み、構成の作り方やSEOのイロハを学んでいきました。
そして8ヶ月が経った今は、上場企業から継続案件をいただけるようになり、興味のある分野で執筆することも可能になりました。
ようやく経営が軌道に乗った、という感覚です。
正直、心の底からホッとしました。
だけど、このまま安心できるほど僕は楽観的ではないし、自分の力を過信できるほど世の中を舐めてもいません。
ぽっと出の若造がライターとして生きていくのは、そう簡単な話ではないのです。
毎日、不安と戦っています。
毎日、自分と戦っています。
毎日、それらに勝っています。
だから、今も息をしています。
そして、絶えず夢を描いています。
止まれば社会に呑まれてしまう、フリーランスという小舟の舵を切るには、前に進み続ける推進力が必要です。
その推進力になりうるものがあるとすれば、大きく二つでしょう。
それは「恐れ」と「希望」です。
僕はいつも「恐れ」で前へ進んできました。
このままここにいたら死んでしまう、自分の価値がなくなってしまう、と自分を追い詰めて歩んできました。
正直、何度も生きるのが嫌になったし、何で生きているのか分からずに涙する夜も数え切れないほど超えてきました。
その上で、僕はこれまでとは異なる推進力を手にしました。
「希望」です。
自分は生涯を通してなにを実現したいのか、僕の目が黒いうちに何を成して、死ぬときどんな世界で息を引き取りたいのか。
それらを突き詰めて、希望を具現化してみると、驚くべき効果を発揮し始めたのです。
やりたいことが見えてくると、この先やるべきことも明確になり、長期・短期目標がわかるようになりました。
日々の仕事にも熱が入るようになり、やるべきこととやりたいことを取捨選択できるようになりました。
本当に大切なものが見つかれば、人は愚直に、少しずつでも前へ進むことができる。
でも、その結果として何かを失ってしまうこともあるのでしょう。
それは苦しいことですが、決して悲しいことではありません。
捨てたものが大きければ大きいほど、対価として得る結果の輝きはひときわ大きくなります。
僕はその輝きこそが、何より美しい「希望」の姿だと思うのです。
何かを捨てなければ到達できない、だからこそ価値があるのではないでしょうか。
希望という言葉には、ひどく残酷な意味が含まれています。
希望を胸に抱いた者はその希望に憧れを抱き、狂おしいほどに心と身体をかき乱されるでしょう。
希望とは、言い方を変えれば「譲れないたった一つの光」であり、希望を抱いた者はそれを手にするためになりふり構わずもがくことになるでしょう。
他の全てを捨ててでも「その光に縋るのだ」という覚悟を、僕たちは希望と呼ぶのでしょう。
僕がさいきん胸に抱いた希望はきっと、幼い日に流れ星へ願ったものと変わりません。
あの夜、僕は母に連れられて、酒に酔って暴れる父から逃げるように外へ出ました。
「夜空を見に行こう」と母は僕に笑顔を向けて、手を引いてくれたのです。
僕らが住んでいたのは山奥の集落だったから、最小限の灯りしかありません。
自分の足元すら覚束ない暗闇のなかで、僕はただただ不安を感じていました。
宵闇が怖かったわけではありません。
家に帰れば激昂した父がいて、また母が殴られるのだと思うと、もういっそ殺してほしいとさえ思っていました。
この世界に救いなんてないし、死ぬまで恐れと共に生きるのだと、それが普通なのだと、心から思っていたのです。でも、そんな僕の不安などつゆ知らず、見上げた夜空には視界を埋め尽くすほどの星が瞬いていました。
ドラマのようですが、その夜は流星群の夜でした。
流れ星がつぅ、と視界を横切ったとき、母が僕の隣で言ったのです。
「3回お願い事を言うと叶うから、何かお願いしてごらん」
DV被害の真っ只中にいながら、僕の母はそう口にしたのです。
今の僕には、その言葉がどれだけの願いを含んでいたのか痛いほど分かります。たった一言に乗せるにはあまりに重すぎる願いを、それでも言葉は僕の耳へ、心へ運びきったのでした。
当時の僕はそこまで理解できておらず、ただ愚直に、思いついた願いを口にしました。
「お兄ちゃんと、家族みんなで暮らしたい」
僕は、心の底から、大真面目に、たったこれだけの願いを3回唱えました。取るに足らないことだと笑われるかもしれません。
それでも、たったこれだけの願いすら自力で叶えられない無力な存在は、星に願うほかないのです。今、この瞬間も、この国のどこかで星を見上げて、あの夜の僕と同じように祈っている誰かが居るのかもしれない。
僕はそれがたまらなく苦しくて、想像するだけでもどかしく感じます。
あの夜、僕はきっと「優しい世界になりますように」とお願いしたかった。
3歳の語彙だから、もっと個人的な表現になってしまったけれど、きっと僕はそう願っていた。
救いのない世界をずっと見てきた。
海外へボランティアに行く温室育ちの奴らを見て反吐が出た。
「救う」ことを軽視する人間がたまらなく嫌いだった。
だってあの夜、僕の願いは誰にも届かず、帰った母は父親に殴られ続けたのだから。
僕は殴られるのが怖くて、隣の部屋で一人泣きながら眠ったのだから。
祈りも願いも父の拳にへし折られて、誰も僕を救ってなどくれなかったのだから。
だから僕の願いは、あの夜から何も変わらないのです。
「優しい世界でありますように」
おとぎ話のような願いを、22歳になった今も星を見るたびに掲げ続ける僕は愚かでしょうか。
中二病だと揶揄されるでしょうか。
悲劇のヒロインぶっていると嘲られるでしょうか。
それでも構わないと思う僕は、頭がイカれた偽善者なのでしょうか。
たとえ笑われても、僕だけは知っているのです。
あの夜の絶望を。あの日々の苦しみを。
だから僕は誰より優しくありたい。
世界を丸ごと変えられたら楽だけれど、きっとそうはいかない。
なら、この両手が届く範囲くらいは優しい世界にしてみせる。
僕の希望は、それだけです。
そしてそれを叶えるために、僕は居場所を作りたいと思いました。
シェアハウスには、それを叶えるだけの力があります。
僕が暮らしているシェアハウスは、僕が自由に羽を伸ばせる居場所になってくれました。
僕は、僕の描く「優しい世界」を作るために、シェアハウスを始めたいと考えています。
はじめのころ、僕は「言葉を介して心を癒したい」と志しながらライティングしていました。
しかし、悲しいかなWebライターの実情は、それほど優しくはありません。
SEO上位に記事を食い込ませるために記事を書くと、どうしても伝えたいことが削られたり、異なる表現方法に変えたりする必要があるのです。それなら、ライター業という箱のなかでは僕の願いは叶えらえそうにない。そう思って、別の道へ舵を切りたいと思うようになりました。
2020年の初夏を目処に、僕は新たな舞台へ踏み出そうと思います。ライター業という枠組みにとらわれず、社会という大海原へ笹船のような小さな船を浮かべて、漕ぎ出すのです。おなじ志を持った仲間とともに、願いを叶えたいと思うのです。
あの夜、3歳の僕が星へ預けておいた幼稚な願いを、22歳の僕が受け取り、大真面目に叶えるのです。
そこまでして、ようやくあの日の僕は笑えるのでしょう。
過去のために生きるのではなく、過去から未来へつなぐために、僕は今いちど過去と向き合いました。
僕は今でも、きっとあの夜の願いを叶えるために生きているのです。
優しい世界で笑って過ごすために、僕はもう少しだけ、自分の道の先へ進もうと思います。