ふわとろオムライスになれたら

現役Webライターが綴る、仕事のあれこれや日常の中で感じた「思考」の原石。

まともに生きる選択肢がなかったので、僕は死ぬ気でライターになった。

ふわとろ〜。

 

2月からシェアハウスで生活を始めました、一身上の都合改め「まーくん」です。

 

最近ぼくはよく呼び名をコロコロ変えてます。

 

なんか気に入らない、とか。

響きが悪いよ、とか。

理由は様々ですが、やっぱりしっくりこない呼び名はサイズの違う靴みたいに、まっすぐ進みづらい。

その呼称が定着してしまうくらいに関係が進展する前に、訂正したくなります。

 

でも矛盾するようですが、結局呼び名なんて、なんでもいいとも思うんですよね。

 

名前なんてその人を認識するためのIDみたいなもの……。

 

まって、idって打つと「ニョオオオオオオオオオオ」って予測変換が叫んでる。

ほら、みて。

 

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唐突に叫び出す予測変換……。

iPhoneもストレス溜まってるんだな。

 

 

さて、そんなこんなでシェアハウス生活を始めたぼくですが、ついこの間までリゾートバイトをしておりました。

リゾバしつつのライター業だったわけですね。

そんな僕が、福岡のシェアハウスへ入居すると決めて持ってきたお金、いくらだと思いますか?

 

所持金、なんと1万円!

 

タイかどっか物価の安い国と勘違いしてるんですかね?

完全に向こう見ずな性格が裏目に出ています。

 

汚れたキャリーバックに服やら靴をぎゅうぎゅうに詰め込んで夜行バスに乗り、ぼくは福岡の地を訪れました。

 

とても綺麗でいい街です。

 

シェアハウスの住人さんも優しくて、面白い。

 

なんというか、人としてしなやかです。

面白い生活が送れそうだと今からワクワクしています。

 

中にはモデルさんや公務員をしている方もいて、就いている職業も多岐にわたっているんですね。僕なんてフリーランスですし。

なんでもありです。

 

ほんとうに刺激的で、思い描いていた数倍楽しいです。

 

ところで、皆さんは今どんなお仕事に就いていますか?

 

冒頭で「名前なんてどうでもいい」と、中二病か斜に構えたヤンキーみたいなことを口走った僕はといえば、現在フリーのライターとしてお金を稼いでいます。

 

後々収入は公開しますが、ちょっと忙しすぎるのでほんとうに後になると思います。ごめんなさい。

 

さて、話を戻して……。

 

お仕事は何をされているんですか?と尋ねられてノータイムで答えられますか。

 

ぼくは少し自信がありません。

 

いつだってそうでした。

自分が今していることは、他人からみれば途方もなくちっぽけな出来事に過ぎないんじゃないかって。

 

そんな考えが頭をよぎると、どうもうまく自己紹介ができません。

 

いいえ、ちっぽけな自分を知られるのが怖くて、壁を作ってしまうのです。

 

お仕事は特に、プライドやアイデンティティに直結していますから自分からは開示しにくい部分です。

 

学生さんの場合は学歴とか、テストの点とか、彼女彼氏の有無とか。

そういうものを想像してください。なかなかデリケートな問題ですよ。

 

ぼくはこういうアイデンティティに関わる質問にいつも即答できずにいました。

怖くて、仕方なかったんです。

 

「あいつ定職にも付かねーでふらついてやがる」

 

「学歴もない奴がしゃしゃってんな」

 

「分不相応な態度と口が癪に触る」

 

どれも本当に言われた言葉です。

ぼくはこれらの悪意に満ちた言葉を受け続けて、自分のことを紹介するのが極端に下手くそになりました。

 

本当は人を笑わせるのが好きだけど、そんなことを自己紹介で言った日には「面白い奴」と思われてしまい、無茶振りされかねない……。

そんな恐怖が先行して、うまく振る舞えないんです。

 

本当はみんなとお酒を飲む時間も好きだけど、みんなを白けさせたら申し訳ないからお酒は一人で飲みたい、と嘘をついたり。

 

ぼくの中の壁は着々と積み重ねられていき、次第に乗り換えるのが困難になりました。

 

以前勤めていた喫茶店で、職場の上司と食い違いが生じ、ぼくは心が折れてしまいました。

 

休みなく働いても、ちっとも報われない。

世界は変わらない。

奨学金も減らない。

母親はどんどん年老いていく。

自分の年金も保険もアテにならない。

 

未来が、分からない。

 

仕事は未来を明るくしてくれるものだと高校の頃に教わりました。

社会的な基盤を作り、その人を強くしてくれるものだと。

それは確かにその通りだと思います。

 

でも僕にとって仕事とは、アイデンティティにすらならない、つまらない作業のように思えてなりませんでした。

 

単なる労働力の搾取に思えたのです。

 

僕は潔く会社をやめ、本物のニートになりました。

 

奨学金の返済をストップしてもらい、リゾートバイトを探しました。

 

なかなか良い案件が見つからないので、自動車産業期間工に応募。

生活費がかからないことや、月給30万円超えという文字に惹かれてホイホイと勤務地の福岡へ移動しました。

完全に向こう見ずな性格が裏目に出ています。

 

今思えば分かっていたことですが、ぼくは、ものの数日で期間工を辞め、またニートに戻りました。

 

何も残されていないぼくには、小説だけが残りました。

 

 文章を通して何かを表現する、それだけがぼくの特技で、存在証明だったのです。

右も左もわからないまま、クラウドワークスというクラウドソーシングサービスを利用し、初心者向けのライターの案件を受注しました。それがすべての始まりでした。

 

はじめは文字単価0.16円の仕事を受けていました。

この金額はとても安く、とてもお金にはなりません。

 

一体どの程度なのか、ライターでない方にも伝わるようにご説明します。

 

まずその依頼は1800文字以上の記事を5本書く必要がありました。1800文字の記事を5本書いて1500円。

 

つまり1800文字の記事を1本書いても500円にしかなりません。1800文字書いて300円です。300/1800で、文字単価は0.16円。お分かりいただけますでしょうか。

 

1800文字の記事を書くためには、早い人で30分、遅い人や初心者は1時間以上かかるでしょう。

ぼくははじめのころ2時間以上かけて1本の記事を書いていました。

時給に換算すると、300円以下です。それでも、その記事を書いている間は本当に楽しかった。

自分の書いた文章がはじめてお金になった瞬間の喜びは忘れられません。

 

その案件をこなして、私は徐々に文字単価の高い仕事を受注するようになりました。

 

文字単価が1円を超えてくると、SEOや構成のテクニックが求められるようになります。1.5円を超えると、さらに求められる文章のレベルは高くなります。

 

・「です、ます」が連続しない

・文章のリズムが歯切れ良い

・HTML/CSSWordPressのスキルを有している

・画像選定のセンス

・コミュニケーション能力

・特定の分野への知識、経験に基づいた見解を交えて執筆できる

 

こうしたスキルを備えて、ようやくライターとして「お金になる文章」を書くことができます。

ぼくは誰にも教わらずにこれらを身に着けていきました。

 

メディアや企業から案件を受注した際に渡されるマニュアルやネット上に転がっているノウハウをつなぎ合わせて、自分なりの技術を確立していきました。

 

おかげで、今ではフリーライターとして生計を立てられるようになりました。

波乱万丈でしたが、気の合う友人たちとゲームをしたり、お酒を飲んだり、文章を書いたりしながら生きている今の自分には、ちょっぴり満足しているのです。

 

ぼくはDVの父親のもとに生まれ、5歳のころに母親とともに逃げるように引っ越してきました。それからはずっと生活保護を受給して、生きていました。

 

ただ本当に辛くて苦しい記憶だけが残っています。自分らしさとか、幸せとか、考える余裕もなかった。

父親に金の無心をするよう母親から頼まれて電話をかけたこともありました。ぼくの養育費は月々1万円で(これは死ぬほど安い金額です)、そのことについてぼくから意見をしたのです。ぼくが中学2年生の頃でした。

 

「お父さん、俺の養育費のことなんだけど、もう少しもらえないかな」

 

「お前の地域にも民生委員ってのがいるから、その人に相談しなさい。あとは市役所。俺じゃないだろ、相談先は」

 

そう言われました。電話を耳に当てながら母の方を振り向くと、母は酔った赤ら顔をこちらに向け、口パクで「もっと押せ」といいました。

 

ぼくはもう何が正しいのかわからなくて、もう一度父親に食い下がりました。父親はその態度にかちんと来たのか

 

「何だコラ、お前、お前みたいなやつ1万円の価値もねぇんだからよ」

 

その言葉が、いまでも僕の心の奥底に突き刺さって血を流し続けています。まだまだ止まりそうもありません。

 

そんな環境だったこともあり、ぼくは人を避ける人間になりました。人の好意も受け取れず、まともなコミュニケーションを取ろうとすると人の数倍疲れてしまいます。

 

社会人をやっていたとき、毎日わけがわからないくらいに涙が溢れて、苦しかったのを覚えています。

ここまできても、ぼくはトラウマから逃げられないのだと痛感しました。

そして、先生がいつか言っていた「仕事は社会的な基盤を作る」という言葉は、僕のようなイレギュラーには当てはまらないのだということも。

 

それなら、ぼくはぼくなりの方法で人生を作り上げなければならないのです。

 

ぼくのもとに最後まで残っていてくれたのは、文章でした。

文章が好き、というのももちろんありますが、どちらかというと「もうこれがだめなら死ぬしかない」という心情が正しいところです。

 

ようやく見つけた輝ける場所、ライターという仕事に見限られないためにも、ぼくはまだまだ書かなきゃならない。

死ぬ気でライターになったぼくの話でした。

 

 

もしライターとして生計を立てたい、今の状況が辛いという方がいましたら、ぜひ相談してください。

ぼくの持ちうるすべてのノウハウをお伝えして、ゼロからでもライティングスキルが身につくようなシステムを作りたいと思います。

あと、読者になってください。よろしくお願いします。