amazarashiと雨と海が私にとっての救世主だった
初めまして、ふわとろオムライスになりたいだけの人生でした、一身上の都合です。
ふざけた名前の私ですが、それなりに悩み多き青春時代を送ってまいりました
いじめられたり、引きこもったり、土砂降りの雨のなか、海まで自転車で行って8時間くらいamazarashiの「光、再考」「少年少女」「僕が死のうと思ったのは」という曲をリピートしたりとthe青春って感じの日々を過ごしてました。狂ってんな。
それでもやはり当時どん底にいた私としてはその日々に疑いなんぞ抱くわけもございません。正しいのは私と、私を優しく包み込む昏いカルチャーである。明るい日々を送りポップスを聴いてる奴らの方が狂ってる、と本気で思っていたんですね。今となってはその限りではないことを理解しています。
さて、その当時私にどんなことが起こっていたのか詳しい話はまた後日綴るとして、今回はそんな仄暗い青春を送る、または送ろうとしている同胞へささやかな援護射撃をさせていただきたく筆を取りました。
私がなんで海に行って、8時間も同じ曲をリピートしていたのか。端的に言えば「居場所を作るため」でした。私にとって……いえ、当時の私にとって居場所とは温かい料理を家族で囲んで座る明るいリビングの一席でも、賑やかに文化祭の準備に勤しむ同級生との会話の中でもありませんでした。
それは夜のように濃密な灰色が街を満たした昼下がり。まるで空が落ちてくる予兆みたいに降りしきる雨。私ごと世界を丸呑みにせんと波を荒立たせて待ち構える日本海。雑音をシャットアウトするように耳にはめたイヤフォンから響くamazarashiの曲。雨によって体温が徐々に奪われ、肌に張り付いた服は機能性を諦めて、私は水をたらふく含んだボロ雑巾のように海と、雨と、融合していく。
そのさなか、思考すら手放して身を委ねる音楽がamazarashiで、私は私であることを放棄しているその瞬間に居場所を見出していました。決して、決して誰にも触れられない心の柔らかな部分を、私はその危うげな時間にのみ直視することができたのです。それは同級生や親兄弟から見れば愚かだったでしょうし、理解しがたい光景かもしれません。精神病を疑い、人目を避けて精神病院へ入院させようとしたかもしれません。
とにかく、私は私になれる場所が必要でした。それが、たまたま私の場合は、明るいリビングでも、同級生が色めき立つ放課後の教室でもなかった。それだけなんです。
それでも、私のような存在は肩身の狭い思いを強いられることになります。それは多くの場合、少数派で、声が小さく、態度も小さく扱いやすい人ばかりだからでしょう。私は例外ですが。
いずれにせよ苦戦を強いられる私たちですが、決して孤立無援というわけではありません。少なくとも私は孤りではありませんでした。音楽で、文章で、受け手であれ送り手であれ誰かと繋がることができました。願わくば私が今綴るこの言葉も、誰かの心に入り込み、使い捨てであったとしても盾の役割を果たして欲しいと願っています。
さて、苦戦を強いられる私たちに必要なのは多数派に擦り寄る勇気でも、上手く生きるための狡猾さでもありません。多数派すら跳ね除けるような頑強な精神でもありませんし、ナイフやロープで命を削ることでもないのです。
救世主が、必要なのです。
アメコミのヒーローを思い浮かべがちですが、そうした正の正義である必要はありません。ヴェノムに救世主をみつけても良いのです。重要なことはあなたの世界を救う存在を、あなた自身が見つけることなのです。人じゃなくてもいいです。物語でもいいし物でもいい、色でも建築物でも虫でも構いません。
言い換えればあなたの居場所です。私にとっての雨や海や黒雲や音楽のようなものを、誰にも理解されなくてもあなたが心から理解できるものを、蓄える必要があるのです。
これは一種の暗号のようなもので、明るいリビングや教室の会話に自分の居場所を見出せる人たちには決して読み解けません。そうした多数派に弾かれたあなたにのみ本当の意味で読み解ける文章を、あなたのために、書いています。
もう一度繰り返しましょう。よく覚えていてください。
誰にも理解されなくてもあなたが心から理解できるものを探してください。明日の課題より、くだらないグループラインへの返信より、未来より家族より彼氏より彼女よりバイトより重要な任務です。
無理に多数派に擦り寄ることは悲しく愚かです。自殺に他なりません。
器用に立ち回ることは一見良案に思えますがやはり無理がたたり心が壊れます。先送りに過ぎません。
多数派を跳ね除ける頑強さを持つことは大抵の場合、怒りの対象を変えているに過ぎませんから、この先大切な誰かが見つかった時により深い後悔や悲しみを連れてくるでしょう。
同じ轍を踏まないよう、私はあなたにお願いをします。
あなた自身を諦める理由なんて、どこにもありません。
笑われようが貶されようが、あなたがあなたでいられるクレイジーな世界を作ってください。あなたのためだけの空間をデザインして、心の柔らかい部分を、そこにいる間だけは優しく撫でてあげてください。できれば声を聞いてあげてください。大人になると、その柔らかな部分は歪さとして残ってしまいます。
あなたがあなたの居場所を自力で作れないのであれば、どうか、私でも周りの信頼できる人でもいい、そのことを包み隠さず話そうとしてください。
話さなくてもよいです。話そうとしてください。
あなたはあなたの救世主を見つけるために、そうする義務があるのです。
その命、その哲学、見殺しにするにはあまりに惜しい輝きを放っています。価値を見誤らないで。