ふわとろオムライスになれたら

現役Webライターが綴る、仕事のあれこれや日常の中で感じた「思考」の原石。

生活保護家庭の高校生が夢をつかむために必要なたった1つの考え方とは

f:id:issinjou:20190527181137j:plain

 

ふわとろ、一身上の都合です。

今回は「生活保護」の家庭に暮らす高校生が夢をつかむために必要な考え方についてご紹介します。 

何を隠そう、僕は元・生活保護受給者です。

そんな僕がない頭を振り絞って振り絞って考えました。

生活保護家庭や困窮した家庭に生きる高校生が夢を追いかけるために必要な思考方法をご紹介します。

 

生活保護家庭の高校生は自分の将来の夢をみるか

母親と二人暮らしになったのは5歳のときでした。

それから実家を出る19歳になるまで、僕は生活保護を受給していたのです。

 

その中で強く感じたのは、世間が「生活保護」に抱くイメージや意識が

 

生活保護家庭に暮らす高校生から夢を奪っているのではないか”

 

という思いでした。

 

どう考えても、世間の認識では大多数の方が「生活保護家庭の子どもが進学するなんてゼイタクだ」と思っているように感じます。

 

生活保護家庭の高校生は、「特に」自分の夢を追いかけられない状況に追いやられています。

これは紛れもない事実です。

だから、この記事では生活保護家庭の高校生が、他のみんなと変わらずに自分の目標や理想、夢に向かって生きていけるような方法を提示します。

 

これは被害妄想ではありません、歴とした事実にもとづいた話なのです。

生活保護家庭の高校生は、進学することすらままならないのですから。

 

 

厚労省の発言が物議を醸したそのワケとは?

生活保護家庭の高校生が夢を追いかけられない証拠として、最近興味深いニュースがありました。

つい先日話題になっていた厚労省職員の答弁です。

 

ダイヤモンドオンラインの「生活保護で大学進学なんてゼイタク」本音を包み隠す厚労官僚の“良識”という記事に詳細が記されていました。 

 

"厚労官僚による「生活保護での大学等への進学は認められない」という国会答弁が、大きな波紋を引き起こしている。理由は、生活保護法の「最低限度の生活」が大学進学を含まないからだ"

 

現状、生活保護を受けている方は生活保護法に記された「健康で文化的な最低限度の生活」を基準にさまざまな待遇が施されています。

医療費がかからなかったり、現金が支給されたりといった具合に、「ゼイタク」はできなくとも、文化的な生活を営めるくらいの援助が行われているのです。

 

ここで気になるのは「ゼイタク」のボーダーラインでしょう。

実はこの「ゼイタク」という概念が曖昧だから、生活保護家庭で育っている若者や高校生の未来が失われているのです。

 

ゼイタクのボーダーラインを決めるのは誰なのか

世の中では「ナマポ」などと揶揄されることも多い生活保護ですが、この記事では「俺達の税金で食ってんだから贅沢すんな」という意図の発言をする方については言及しません。

なぜならあまりに経済がわかっておらず、議論の対象にすらならないからです。

 

ゼイタクとは、健康で文化的な最低限度の生活の外側にある自由や快感です。

高校生の進学はゼイタクではなく、貧困の連鎖を断ち切るために必要不可欠な手段でしょう。

貧困家庭から脱して、一人前に稼げるようになって、税金を納めて、自分の力で家族を養えるようにしなければ生活保護費は膨らむばかりです。

一人でも多くの若者を経済に参加させることこそ、税収の増加につながり、生活保護費の削減につながるのです。

 

生活保護家庭の高校生が進学するのはゼイタク」という発言は、あまりに短絡的で、思考停止と言わざるを得ません。

なので、この記事ではそのレベルの発言に関しては意見せず、もう少し経済学的な話をしたいと思います。

貧困家庭の高校生でもわかりやすいように、専門用語は出しません。

 

生活保護などのセーフティネットが存在する理由は?

生活保護などのセーフティネットが敷かれている理由は、非行や犯罪に走る人を減らすためです。

非行や犯罪に走る人が増えると、国家がもろくなり、内部崩壊を巻き起こすのです。

安定した国家を運営するためには、お金をかけてでもセーフティネットを敷き、極限状態の人間を出さないようにしなければなりません。

 

例を挙げましょう。

 

わかりやすくするために国民を減らして、10人で成り立つ国家があるとします。

はじめは10人全員で協力しながら家を作ったり、魚や動物を獲って食料にしたり、服を作ったりして生活していました。

途中、一人が風邪をひいて寝込んでしまいました。

その彼のために、残りの9人は少しだけ多く仕事を増やして、彼の分まで食料を調達します。彼は仕事をしていませんでしたが、ご飯をもらい、家に住み、服を与えられました。

やがて風邪が治ると、彼は仕事に復帰し、また10人で生活を営み始めます。

 

本来のセーフティネットとは、こういった役割を果たすものです。

10人国家で言えば、「誰かが倒れたらその人の面倒をみんなで看る」というルールが存在する状態ですね。

 

では、もしこのルールがなかったらどうなるでしょうか。

そして、風邪よりも重い状況に陥ったらどうなるでしょうか。

 

たとえば風邪ではなく、両足の骨折だとしたら?

骨折した彼が寝込んでいたとき、誰も面倒を看ずに放置し、空腹の彼を放っておいたら、どうなるでしょう。

 

たどるルートは3つです。

 

・骨折が完治し、彼は自力で仕事に復帰する

・空腹に耐えかねた彼が重い身体を引きずって仲間の食べ物を奪う

・悪化や空腹で死亡する

 

この中でもっとも可能性が高いルートは、「空腹に耐えかねた彼が重い身体を引きずって仲間の食べ物を奪う」です。

極限状態に陥った人間は、たとえ悪いことであっても生き延びれるのであれば生きようとします。動物なので当たり前ですね。

 

次に可能性が高いのは怪我の悪化や空腹による飢餓で死亡することです。

食料をもらえずに寝ているだけでは死亡します、だれも助けなければ、そうなるでしょう。

 

最も可能性が低いのは骨折の完治です。

骨折した状態で自分の食べ物を獲得するのは至難の業でしょう。

よほど頭か運が良くなければ成立しません。

 

さて、次に考えてほしいのは「どのルートが最も滅亡に近い選択なのか」という点です。

どんな生き物も死にたくはありません。

種の繁栄を目指して日々の生活を送っていますよね。

何らかの理由で動けなくなった彼が取りうる行動は紹介した3つのどれかです。

どの選択を取られると、10人国家にとって最も痛手なのか考えてみてください。

 

わかりましたか?

正解は2番目の「奪う」ことです。

奪うとは「価値の強奪」に他なりません。

彼が奪い取った一匹の魚は、仲間が3人がかりで半日かけて獲った食料かもしれません。

つまり3人の12時間分が詰まっているのです。36時間分の価値を、彼は奪い取ったのです。

これによって3人は飢えを満たせず、翌日の狩りが失敗してしまう可能性が高まります。

盗みを覚えた骨折中の彼は、また仲間の食料を奪うかもしれません。

 

盗むというのは、経済学的な観点に立つと非常に非生産的な行為です。

食料、服、住居などはすべて価値ですが、この価値を「創造しない」だけでなく「他者から奪う」のは、最も痛手です。

国家の存続には価値の創造が必要不可欠。そして価値の交換が人々の繁栄を促しています。私たちは貨幣と物を交換して生きていますよね。

奪う、盗むという行為は、この原則からあまりに逸脱しているのです。

 

10人国家は怪我人の治療や看病を怠ることで、労働者を一人失い、価値を奪われ、滅亡に一歩近づくでしょう。

これと同じことを国家レベルで行った結果生まれたのが「セーフティネット」です。

 

セーフティネットの意義から考えると生活保護家庭の高校生こそ進学すべき

生活保護家庭の高校生こそ進学し、経済の輪にしっかりと参加する必要があります。

なぜならセーフティネットそのものが、人を極限状態に陥らせないためのものだからです。

極限状態に陥った人は盗んだり奪ったりして、他人から価値を強奪します。

もしくは単純に死亡して、この国から労働力が減少しますよね。

どちらも痛手です。そうならないために、国家を安定させるために敷かれているのがセーフティネットです。

 

セーフティネットである生活保護から脱するときに、進学するという手段は非常に有効です。

これは現代の社会のあり方を考えると、一目瞭然といえるでしょう。

 

f:id:issinjou:20190527174006j:plain

f:id:issinjou:20190527174001j:plain

このように学歴によって初任給や昇給ベースが異なるため、年収にも格差が生まれています。

生活保護家庭でギリギリの生活を続けてきた高校生に就職させるという判断はあまりに非効率なのです。

これは「優先的に進学させろ」という意味ではなく「他の高校生と同様に進学のチャンスを与えるべき」という意味です。

 

学歴別に見ると、最終的な年収差は200万円近く開いているのがわかります。

地方に就職している場合や、増税社会保障費の増加を加味するとさらに可処分所得は下がっていくでしょう。

そして、セーフティネットにいる層から進学する人を出して教育の機会を与えなければ、これから先も貧困の連鎖は消えることがありません。

生活保護家庭の高校生が高卒で就職し、低賃金の中で家庭を持ち、子どもを授かったとしましょう。

その結果、大学へ進学させられないとしたら、子どももまた貧困の連鎖から抜け出すことはないのです。

結果として、国家全体の社会保障費は減ることがないのです。

 

経済の輪に参加させないと、いつまでもこの苦しい状況は続きます。

もちろん、セーフティネットにいる人だけではありません、朝から夜遅くまで働いている会社員なども同様です。

なぜ生活が苦しいのか、それは能力の欠如だけではありません。

貧困の連鎖を断ち切るための施策があまりに足りていないため、いつまでたっても貧困層が這い上がれず、頑張って働いている方におんぶにだっこの状況を抜け出せずにいるからです。

 

貧困層が這い上がるために必要なたった一つの考え方

ここからは苦しい状況にいる方への手紙だと思ってください。

 

僕は年収150万円以下の家庭で2人暮らしをしていました。

多分、日本の中でも本当の本当に最底辺を生きていたと思います。

 

今は進学して得た知識を活かして、フリーランスのライターとして活動しています。

さまざまな人と関われて、本当に刺激的な毎日です。

 

でもね、絶対にこんな生活できるって思ってなかったんです。

僕の地元は新潟の片田舎で、高卒で就職しろっていわれて、出て来る求人票はどれもこれも月給14万円で三交代の工場だった。

僕はこの記事で書いた内容を肌で理解していました。

貧困の連鎖を抜け出さないと先がないってことにも、市役所はとりあえずの生活保護費を削減したいがために「就職したほうがいいよ」と勧めているってことにも。

 

僕はただただ全員ぶっ殺したかったんだ。

だっておかしいんですもん、不公平だって思ったんですもん。

 

僕だって中流階級に生まれていたら、適当にテスト受けて、どうでも良い点数取って、それでも親が買ってくれた新品のスニーカーに履き替えて下駄箱を出て、2ヶ月前に告られて付き合った彼女と帰り道にタピオカ買って飲みながら河川敷歩いて、Twitterでバズってる動画を見ながら笑いあって、家に帰れば温かいご飯と口うるさいお母さんがいて、遅れて帰ってきたお父さんに曖昧な「おかえり」を送って、何の心配もなく、何の不安もなく、この先も幸せが続くはずだって確信しながら、眠れたんだ。

 

父親の怒号がトラウマになって大人の男性が恐ろしくなったり、人と目を合わせられなくなったり、アル中の母親が連れてきた男が全裸で母親にまたがっている姿も見なくて済んだ。

母親に「お金がないから父親に電話して」なんて頼まれなくても済んだ。

電話口でお金の無心をした。

 

「養育費が月1万円なんて少なすぎるから、もう少しお金欲しいんだ」

「お前になんて月1万円の価値もねぇのにな、金なんてねぇよ」

 

実の父親にこんなこと、言われなくても済んだんだよ。

明日もこんな生活が続くなら死にたいなんて思いながら泣きながら眠る必要なんて、なかったんだ。

 

僕はそういう怒りだけで生きてきたよ。

僕より、いや俺より馬鹿なのに進学する連中を見返したくて、生きてきたよ。

特待生を取った。学力は低かったけど、面白い学校へ進学できた。

そこで得たすべての経験が糧になって、今は自由を手に入れたよ。

 

たった一つ、僕らみたいなハグレモノに必要なのは「心の奥底にある気持ち」だ。

それはとても人に言えない汚い想いかもしれない。

僕は「全員ぶっ殺してやる」だった。キミもそうかもしれない。

でも、別にいいんだよそれで。

周りのみんなが「世界平和」とか「一生笑顔で」とか、そういう耳障りの良い言葉を吐いているからって、自分の汚い気持ちを恥じる必要なんてない。汚いことは悪いことじゃない。

立ってる場所が違う、ただそれだけだから。

 

生きる理由になるなら、キミの奥底にある汚い想いは命にふさわしい。

今日からは、その奥底にある本音にキミの命を賭けて。

 

僕は口だけじゃない、本気で全員殺そうと思っていた。命を賭けたよ。

でも直接彼ら彼女らに手を下すと捕まってしまうし、意味がないと思ったから、そいつらが自殺するような方法を考えた。

親の支援を得て進学したやつよりも金を稼いで、煽ってやろうって思ったんだよ。

「俺は何もないところからここまできたけど、お前人に助けてもらってその程度なの?

恥ずかしくないの?」

って。そしたら最高の復讐になるじゃん。

 

けど今となってはどうでも良くなってしまった。

きっとそんなもんなんだ。

 

でも、僕らは生きるために理由が必要すぎる。

だから、自分の本音にすべてを預けて、それがどんな声であれ耳を傾けて欲しい。

 

その上で、もしキミが幸せになりたいと願うのであれば、具体的な手段として、僕は進学することを勧める。

 

issinjou.hatenablog.jp

 進学するためには、この記事を参考にしてほしい。

 

どうか、この記事が読まれていることを願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【生活保護】DVや貧困から抜け出すために、進学して幸せになろう!元・生活保護の僕が取り組んだ方法を紹介します

f:id:issinjou:20190524212839j:plain


皆さんふわとろ。フリーライターの一身上の都合です。

今回は非常に真面目な話をします。

 

タイトルからしてすでに不穏ですが、まあ、この先をスクロールしてもタイトル通りの内容が連なっているだけです。

 

僕は生活保護家庭出身です。母子家庭で、父親と母親は僕が5歳のときに離婚しました。

理由はDVです、父親はお酒を飲むと僕や母親、兄に暴力を振るっていたのです。

逃げるように父親の元から逃れて、僕と兄は離れ離れになりました。

 

そして、母と僕の二人は生活に窮困し「生活保護」を受給するに至ったのです。

正直、そこらの人よりも最底辺をみてきた自負があります。

 

だからこそ、僕は不幸自慢ではなく幸福自慢をしようと思いこの記事を書いています。

昔の僕と同じような状況にいる方、ぜんぜん違う環境にいる方、ふらりと立ち寄った方、ぜひ見ていってください。

 

アングラ中のアングラ【生活保護】や【DV】の経験者がわかりやすく絶望をお届けします。

そして、僕が今の自由な生活を手にするまでの道のりを紹介しましょう。

 

f:id:issinjou:20190524213123p:plain

DVや貧困、母子家庭、生活保護の絶望感は半端ない

まず、DVとか生活保護の絶望感は半端ないです。まじで。

 

学生時代、テスト当日に「あぁ〜、勉強してねぇわ、絶望だわ〜」とか言ってるやついましたよね。

DVとか生活保護の中で生きるっていうのは、その絶望が富士山麓から湧き出た岩清水に感じられるほどに色濃い絶望なんです。種類が違う。

 

今回の目的はその絶望を深掘りすることではないのでさらっと飛ばしますが、とにかく僕はいろいろな絶望を目にしてきました。

 

酒を飲む前は優しく笑いかけていた父が、酒を飲んだ途端母親の首を締めていたり。

怒号や金切り声が飛び交う中で僕を守ってくれた兄の背中を見たり。

市役所のCW(ケースワーカー)から「高卒で就職するのが普通でしょ」と将来を決めつけられたり。

唯一僕を守ってくれていたはずの母親から「産みたくなかったよ、あんたなんて」といわれたり。

 

こういったクソみたいな絶望と常に隣り合わせで生きながら正気を保てる人間がどれだけいるんでしょうか。

いやしませんよね、そんな人。

 

だから、僕はたくさんの「グレた」人を見てきました。先輩にも後輩にも、もちろん同級生にも。

僕と同じように生活保護を受けながら育った友人の中には人を殺したり、殺されたりする人もいました。

他人から何かを盗んだり、自分を傷つけたりしながら地元の街で生きている被虐者の友人もたくさんいます。

 

彼ら彼女らの行いをどうこう言うつもりなんてありません。

でも、今でもそんな友人たちの姿を見ては「仕方ないよなぁ」という諦念と「もったいないよ」という願いが混ざり合うのです。

 

僕の中にはしこりが残っています。

このしこりの正体は、きっと僕のエゴです。

 

僕は運良く、そして歯を食いしばって耐えつづけたおかげで日の目を見ることが出来ました。

高校を卒業してから特待生で短大へ進学し、卒業後に就職した企業をやめてフリーランスのライターになりました。

経済的にも、精神的にも、時間的にも自由を得たのです。

 

だからこそ、僕は自分のエゴで、昔の僕らを救いたい。

そんな思いでこの文章を書いています。

 

前置きが長くなりました。

この記事では生活保護家庭に生きる高校生の方に向けて「未来を拓く」方法を紹介します。

「頑張れよ」「あまえんな」なんて精神論じゃ救われないのは誰よりよくわかっているつもりなので、僕をモデルケースとしつつ利用できる制度や支援してくれる機関を紹介します。

 

進学する上で利用するべき制度一覧

現状、日本では大きな格差が生じています。

せっかく能力があっても学歴がなければ稼げません。

可能性があっても機会がなければ人に認めてもらえません。

 

お金がないからと教育を諦めるのは、少しばかり早計です。

正直、何が何でも大学へ行ってやるというがむしゃらな気持ちがなければ、貧困の連鎖を断ち切ることはできません。

 

実は知られていないだけでたくさんの団体が恵まれない子どもたちへ支援の手を差し伸べているのです。

ここでは、進学に利用できる公的機関や私企業の制度を紹介します。

 

何が何でも大学に行きましょう。

僕は短大でしたが、これまでは出会えるはずのなかった知識人や尊敬できる教授に出会うことが出来ました。

心から追いかけたいと思う夢に出会えました。

 

ここまで読んだんですから、自分の未来を諦めるのは、この記事を最後まで読んでからにしてください。

使える公的機関一覧

・全国母子寡婦福祉団体協議会

あしなが育英会

・各大学の特待生制度

日本学生支援機構

・各自治体が提供する奨学金制度

 

公的機関の中で、僕が進学する際に利用したのは

「全国母子寡婦福祉団体協議会」と「日本学生支援機構」です。

あとは進学先の「特待生制度」も利用しました。学費免除で授業が受けられるので、特待生を狙うのはマジでコスパ最強です。

 

どの団体でお金を借りるにしても審査が必要ですが、ぶっちゃけ落とされることはありません。

むしろ、お金がない人のための制度なので「お金がある人が落とされる」のです。

 

日本学生支援機構奨学金は書類のやり取りで貸与が決定するので、より簡単に奨学金を借りることができます。

面接とかテストはないんですよね。

 

全国母子寡婦福祉団体協議会の奨学金では、もう少し煩雑な手続きが必要です。

ただ、僕は2回くらいの顔合わせで貸与が決定しました。

おそらく人柄と家庭状況を見ているので、こちらもあまり気負わなくて大丈夫です。

 

使える公的機関以外の一覧

新聞奨学生

・各病院、企業が展開する奨学金制度

 

公的機関以外にも貧困層の進学を支援する企業は存在します。

有名なのは新聞奨学生でしょう。

朝日新聞の新聞奨学生制度では、学費や生活用の住居が与えられます。

 


新聞配達を朝と夕方に行うことで、住居と学費だけでなく給料まで支給されます。

正直、アルバイトまみれになるので夢のようなキャンパスライフは実現できないと思いますが、働きながら大学へ行けるのはかなり魅力的です。

同じような境遇を乗り切ってきた、たくさんの仲間にも出会えるでしょう。

 

正直、何が何でも進学すべきだと思います。貧困家庭の学生は特に。

 

こうした支援を利用してでも、高校の先に広がる世界を覗いてほしいです。

 

また、看護大学などに通う学費を免除する、病院の奨学金制度も存在します。

 

卒業後に指定の病院で一定期間の就業が義務付けられますが、看護師という国家資格と就業先が用意されると考えれば十分利用する価値はあるでしょう。

 

看護大学の学費は総合大学に比べて高く、自腹で用意するのはかなり難易度が高いです。

こうした制度を利用すれば無料で安定した職と学歴を手にできます。

 

また、生活保護家庭の高校生は貯金が認められていませんでしたが、2017年から「就職」や「進学」のための貯金が認められるようになりました。

 

僕のケースワーカーは教えてくれなかったので、もしかしたらあなたも知らなかったかもしれません。

 

もし、いま初めて知ったのであれば、すぐにケースワーカーへ問い合わせてください。

認められる貯金の限度や使用用途を聞いて、アルバイトを始めましょう。

収入認定されていた金額のうち全額もしくは一部を貯金に回せるようになります。

  

就職する上で利用するべき制度一覧

生活保護家庭の高校生は就職を勧められます。

なぜなら一刻も早く独り立ちして、自分の家庭を支援して欲しいからです。

役所や家族からのプレッシャーもあるでしょう。

実際、僕も「進学したい」と話したときに力になってくれる人はいませんでした。

 

むしろ

「バカなこと言ってないで就職先を探せ」

「車の免許を取って就職に役立てろ」

という声しか返ってこなくて、かなり孤独でした。

 

その上で貧困家庭の高校生には、あえて就職する道も提示したいと思います。

矛盾するかもしれませんが、中途半端に大学に行くよりも実際に社会人として企業に務めたほうが得るものは多いと考えているからです。

 

ただ、妥協して就職するのは絶対にやめましょう。

 

よほど素晴らしい上司や同僚に出会わない限り、あなたはまた貧困の連鎖に巻き込まれてしまう可能性が高いからです。

 

生活保護家庭から就職する際に使えるさまざまな支援

先ほど紹介したように、生活保護家庭の高校生であれば就職のための貯金が認められています。

車の免許を取得するための費用を自分のアルバイト代で捻出できるので、就職先の幅が広がりますね。

 

また、ハローワーク職業訓練もおすすめです。

これから身につけておきたいビジネススキルや資格の取得を支援してくれるので、手っ取り早くお金を稼ぐスキルが身につきます。

 

最もやってはいけないのは妥協した進路選択です。

自分の未来を諦めるのは簡単ではありません、今妥協すれば、この先もずっとその妥協した選択を引きずって生きなければなりません。

 

f:id:issinjou:20190524213205j:plain

社会的弱者から抜け出すために必要なたったひとつの冴えたやりかた

 

この文章を、生活保護家庭で苦しんでいる若者が読んでくれているかはわかりません。

あなたがそれでも、どうか負けないでほしいのです。

「勝たなくていい。負けるな」という言葉が、僕は大好きです。

(一時期は部屋に貼っていました。) 

 

 周りに理解者が居なくても、たった一人でも、一歩を踏み出しましょう。

 

もし相談できる人が居なくて苦しいのなら。自分の悩みを打ち明ける相手が居ないのなら、僕にメールを下さい。

 

gamagael3sei@gmail.com

こちらまでメールをくれれば、近日中に返信します。

 

他にも役立つ情報を提示していきたいと思うので、ぜひブックマークもしくはTwitterのフォローをよろしくお願いします。

 

 

まともに生きる選択肢がなかったので、僕は死ぬ気でライターになった。

ふわとろ〜。

 

2月からシェアハウスで生活を始めました、一身上の都合改め「まーくん」です。

 

最近ぼくはよく呼び名をコロコロ変えてます。

 

なんか気に入らない、とか。

響きが悪いよ、とか。

理由は様々ですが、やっぱりしっくりこない呼び名はサイズの違う靴みたいに、まっすぐ進みづらい。

その呼称が定着してしまうくらいに関係が進展する前に、訂正したくなります。

 

でも矛盾するようですが、結局呼び名なんて、なんでもいいとも思うんですよね。

 

名前なんてその人を認識するためのIDみたいなもの……。

 

まって、idって打つと「ニョオオオオオオオオオオ」って予測変換が叫んでる。

ほら、みて。

 

f:id:issinjou:20190211025455j:image

 

唐突に叫び出す予測変換……。

iPhoneもストレス溜まってるんだな。

 

 

さて、そんなこんなでシェアハウス生活を始めたぼくですが、ついこの間までリゾートバイトをしておりました。

リゾバしつつのライター業だったわけですね。

そんな僕が、福岡のシェアハウスへ入居すると決めて持ってきたお金、いくらだと思いますか?

 

所持金、なんと1万円!

 

タイかどっか物価の安い国と勘違いしてるんですかね?

完全に向こう見ずな性格が裏目に出ています。

 

汚れたキャリーバックに服やら靴をぎゅうぎゅうに詰め込んで夜行バスに乗り、ぼくは福岡の地を訪れました。

 

とても綺麗でいい街です。

 

シェアハウスの住人さんも優しくて、面白い。

 

なんというか、人としてしなやかです。

面白い生活が送れそうだと今からワクワクしています。

 

中にはモデルさんや公務員をしている方もいて、就いている職業も多岐にわたっているんですね。僕なんてフリーランスですし。

なんでもありです。

 

ほんとうに刺激的で、思い描いていた数倍楽しいです。

 

ところで、皆さんは今どんなお仕事に就いていますか?

 

冒頭で「名前なんてどうでもいい」と、中二病か斜に構えたヤンキーみたいなことを口走った僕はといえば、現在フリーのライターとしてお金を稼いでいます。

 

後々収入は公開しますが、ちょっと忙しすぎるのでほんとうに後になると思います。ごめんなさい。

 

さて、話を戻して……。

 

お仕事は何をされているんですか?と尋ねられてノータイムで答えられますか。

 

ぼくは少し自信がありません。

 

いつだってそうでした。

自分が今していることは、他人からみれば途方もなくちっぽけな出来事に過ぎないんじゃないかって。

 

そんな考えが頭をよぎると、どうもうまく自己紹介ができません。

 

いいえ、ちっぽけな自分を知られるのが怖くて、壁を作ってしまうのです。

 

お仕事は特に、プライドやアイデンティティに直結していますから自分からは開示しにくい部分です。

 

学生さんの場合は学歴とか、テストの点とか、彼女彼氏の有無とか。

そういうものを想像してください。なかなかデリケートな問題ですよ。

 

ぼくはこういうアイデンティティに関わる質問にいつも即答できずにいました。

怖くて、仕方なかったんです。

 

「あいつ定職にも付かねーでふらついてやがる」

 

「学歴もない奴がしゃしゃってんな」

 

「分不相応な態度と口が癪に触る」

 

どれも本当に言われた言葉です。

ぼくはこれらの悪意に満ちた言葉を受け続けて、自分のことを紹介するのが極端に下手くそになりました。

 

本当は人を笑わせるのが好きだけど、そんなことを自己紹介で言った日には「面白い奴」と思われてしまい、無茶振りされかねない……。

そんな恐怖が先行して、うまく振る舞えないんです。

 

本当はみんなとお酒を飲む時間も好きだけど、みんなを白けさせたら申し訳ないからお酒は一人で飲みたい、と嘘をついたり。

 

ぼくの中の壁は着々と積み重ねられていき、次第に乗り換えるのが困難になりました。

 

以前勤めていた喫茶店で、職場の上司と食い違いが生じ、ぼくは心が折れてしまいました。

 

休みなく働いても、ちっとも報われない。

世界は変わらない。

奨学金も減らない。

母親はどんどん年老いていく。

自分の年金も保険もアテにならない。

 

未来が、分からない。

 

仕事は未来を明るくしてくれるものだと高校の頃に教わりました。

社会的な基盤を作り、その人を強くしてくれるものだと。

それは確かにその通りだと思います。

 

でも僕にとって仕事とは、アイデンティティにすらならない、つまらない作業のように思えてなりませんでした。

 

単なる労働力の搾取に思えたのです。

 

僕は潔く会社をやめ、本物のニートになりました。

 

奨学金の返済をストップしてもらい、リゾートバイトを探しました。

 

なかなか良い案件が見つからないので、自動車産業期間工に応募。

生活費がかからないことや、月給30万円超えという文字に惹かれてホイホイと勤務地の福岡へ移動しました。

完全に向こう見ずな性格が裏目に出ています。

 

今思えば分かっていたことですが、ぼくは、ものの数日で期間工を辞め、またニートに戻りました。

 

何も残されていないぼくには、小説だけが残りました。

 

 文章を通して何かを表現する、それだけがぼくの特技で、存在証明だったのです。

右も左もわからないまま、クラウドワークスというクラウドソーシングサービスを利用し、初心者向けのライターの案件を受注しました。それがすべての始まりでした。

 

はじめは文字単価0.16円の仕事を受けていました。

この金額はとても安く、とてもお金にはなりません。

 

一体どの程度なのか、ライターでない方にも伝わるようにご説明します。

 

まずその依頼は1800文字以上の記事を5本書く必要がありました。1800文字の記事を5本書いて1500円。

 

つまり1800文字の記事を1本書いても500円にしかなりません。1800文字書いて300円です。300/1800で、文字単価は0.16円。お分かりいただけますでしょうか。

 

1800文字の記事を書くためには、早い人で30分、遅い人や初心者は1時間以上かかるでしょう。

ぼくははじめのころ2時間以上かけて1本の記事を書いていました。

時給に換算すると、300円以下です。それでも、その記事を書いている間は本当に楽しかった。

自分の書いた文章がはじめてお金になった瞬間の喜びは忘れられません。

 

その案件をこなして、私は徐々に文字単価の高い仕事を受注するようになりました。

 

文字単価が1円を超えてくると、SEOや構成のテクニックが求められるようになります。1.5円を超えると、さらに求められる文章のレベルは高くなります。

 

・「です、ます」が連続しない

・文章のリズムが歯切れ良い

・HTML/CSSWordPressのスキルを有している

・画像選定のセンス

・コミュニケーション能力

・特定の分野への知識、経験に基づいた見解を交えて執筆できる

 

こうしたスキルを備えて、ようやくライターとして「お金になる文章」を書くことができます。

ぼくは誰にも教わらずにこれらを身に着けていきました。

 

メディアや企業から案件を受注した際に渡されるマニュアルやネット上に転がっているノウハウをつなぎ合わせて、自分なりの技術を確立していきました。

 

おかげで、今ではフリーライターとして生計を立てられるようになりました。

波乱万丈でしたが、気の合う友人たちとゲームをしたり、お酒を飲んだり、文章を書いたりしながら生きている今の自分には、ちょっぴり満足しているのです。

 

ぼくはDVの父親のもとに生まれ、5歳のころに母親とともに逃げるように引っ越してきました。それからはずっと生活保護を受給して、生きていました。

 

ただ本当に辛くて苦しい記憶だけが残っています。自分らしさとか、幸せとか、考える余裕もなかった。

父親に金の無心をするよう母親から頼まれて電話をかけたこともありました。ぼくの養育費は月々1万円で(これは死ぬほど安い金額です)、そのことについてぼくから意見をしたのです。ぼくが中学2年生の頃でした。

 

「お父さん、俺の養育費のことなんだけど、もう少しもらえないかな」

 

「お前の地域にも民生委員ってのがいるから、その人に相談しなさい。あとは市役所。俺じゃないだろ、相談先は」

 

そう言われました。電話を耳に当てながら母の方を振り向くと、母は酔った赤ら顔をこちらに向け、口パクで「もっと押せ」といいました。

 

ぼくはもう何が正しいのかわからなくて、もう一度父親に食い下がりました。父親はその態度にかちんと来たのか

 

「何だコラ、お前、お前みたいなやつ1万円の価値もねぇんだからよ」

 

その言葉が、いまでも僕の心の奥底に突き刺さって血を流し続けています。まだまだ止まりそうもありません。

 

そんな環境だったこともあり、ぼくは人を避ける人間になりました。人の好意も受け取れず、まともなコミュニケーションを取ろうとすると人の数倍疲れてしまいます。

 

社会人をやっていたとき、毎日わけがわからないくらいに涙が溢れて、苦しかったのを覚えています。

ここまできても、ぼくはトラウマから逃げられないのだと痛感しました。

そして、先生がいつか言っていた「仕事は社会的な基盤を作る」という言葉は、僕のようなイレギュラーには当てはまらないのだということも。

 

それなら、ぼくはぼくなりの方法で人生を作り上げなければならないのです。

 

ぼくのもとに最後まで残っていてくれたのは、文章でした。

文章が好き、というのももちろんありますが、どちらかというと「もうこれがだめなら死ぬしかない」という心情が正しいところです。

 

ようやく見つけた輝ける場所、ライターという仕事に見限られないためにも、ぼくはまだまだ書かなきゃならない。

死ぬ気でライターになったぼくの話でした。

 

 

もしライターとして生計を立てたい、今の状況が辛いという方がいましたら、ぜひ相談してください。

ぼくの持ちうるすべてのノウハウをお伝えして、ゼロからでもライティングスキルが身につくようなシステムを作りたいと思います。

あと、読者になってください。よろしくお願いします。

【初心者必見】ド素人ライターがたった60日で文字単価を20倍にするために気をつけたこと【ブクマ推奨】

 

ド素人ライターが、たった2ヶ月で文字単価を20倍にしました。

お疲れ様です、一身上の都合です。

冷え込んできましたが、お身体など壊しておりませんでしょうか。

 

今回は、文字単価が20倍になったので自慢を兼ねて……というかガッツリ自慢する記事を書こうと思います。へへへ。

 

12月分の収益が確定したので、大した額ではありませんが発表してみよう、と思い立ちました。

 

というかこれから毎月やっていこうと思います。見てね見てね。

 

 

 

12月の報酬に関しては、かなり割の良いバイトくらいの金額になりました。

副業としてはかなり美味しいですが、独立したいのでそのあたりの情報も吸収してアウトプットしていけたらな、と思います。

 

さて、文字単価ですが平均1,5〜2円あたりに落ち着いています。ちょっと手が回りきっていないので、うまくタスク管理する必要があります……。

 

私が文字単価を20倍にするためにしたことといえば

続きを読む

鼻くそを食うな頼むから

どうも、プロントでジンライム飲んでたら目の前のおっさんが唐突に鼻ほじり始めたので慌ててパソコン畳んで逃げてきました、一身上の都合です。

 

いやー、なんなんですかねアレ。

アレですよアレ、人前で鼻ほじったり、悪口を大声で話しちゃったり、18歳なのにツイッターでほろよいももの缶とともに「呑みなう」とかアップしちゃったり。

 

あれ、全部死ぬほど恥ずかしいことなんですよ。

 

なのになんか、彼ら彼女らは平然とそれらの行為を人前で、なんの臆面もなく、披露しちゃってますよね。

ツイッターに関しては自分から発信しちゃってますから、多分恥ずかしいという意識がないどころか「誇らしいこと」だと思ってる可能性さえあります。

ヤバくないですか、日本。

それにアレだ、プロントで私の前に座ったおっさんなんて両穴全力でほじり尽くしたあと、その指を口に運びましたからね。食事の始まりか。

 

こういう姿を見ると、気持ち悪くなるというか、人間なんて服着て外歩いてるだけの獣なんだなって思うんですよ。

恥ずかしいこと、そんなの生きてりゃたくさんあります。私だって人目につかないところで耳も鼻もほじりますよ、ええ。クソがでますもの。

でもね、それを見た人の気持ちを考えると、どうしても人前ではできない。

まして誰かが美味しく楽しく過ごしてる場所で鼻や耳をほじるなんて、社交パーティーに全裸のゴリラが混じるみたいなもんですよ。文化もなにもありゃしません。

人なんてみんなゴリラ。

でもそのゴリラを人たらしめているのは、恥や常識や他人の目といった「見えない洋服」なんですよ。

この洋服をひとたび脱いでしまえば人間なんてどこでもなんでもほじりますしセックスだってしますよ。

そう思うと、裸の王様ってよくできた話だなーって思いますね。周りの常識いかんで人間は自分が側であることにすら気付けない、愚かな生き物です。

人間は愚か。

 

閑話休題

 

人を人たらしめているのが恥や常識だとすれば、先程プロントで鼻をほじったおじさんは人じゃないんでしょうか。

いいえ、二足歩行で服を着てウーロン茶飲んでましたから、人間です、多分。

では見方を変えて、彼をあんな風にしたのは、誰なんでしょう。

先程の流れを踏まえれば、恥や常識といった服を作ったり着せたりする役割を持った周りの人です。

それは親かもしれないし教師かもしれない、画面の向こうのあなたかもしれませんし、私かもしれません。

あそこで私が「目の前で鼻ほじられると酷く気持ちが悪くなるのでトイレでやってください」と言えれば、彼の中でひとつ常識という名の洋服が作られたんじゃないかな、と思うんです。

ただ、プロントで向かいに座っただけの私に突然そんな指摘されたって彼は戸惑い、恥ずかしくなって、怒ってしまうかもしれません。

そうしたアドバイスを違和感なく言える立場の人が、なるべく、細かく洋服を着せてあげることで、鼻ほじおじさんみたいな無神経、非常識な人ってひとりずつ減らせるんじゃないかなって思うんです。

 

人は人が作る、そんな当たり前のことに今更気づいたんです、プロントで鼻をほじるおじさんを見て。

 

そんな話でした。

 

 

 

3種のチーズ牛丼を食べていたらトロッコ問題に行き着いた

どうも、チーズ牛丼にはタバスコを5、6振りしてから食べ始めます。一身上の都合です。

 

ついさっき、腹ペコですき家にたどり着いたときのこと。私は運ばれてきたチーズ牛丼を前にして哲学の思考実験「トロッコ問題」を思い出しました。

 

その理由についてお話しする前に、ちょっとすき家について語っていいっすか。

 

牛丼屋の店員さん特有の空気ってありますよね、スピード感を保ちつつお客様に失礼のない態度を貫くあれ、すごくないですか?

 

あえて言い方を悪くすれば、牛丼屋に入店してくる客層ってそこそこ悪いじゃないですか(地域にもよります)。

難癖つけてるおっさんとか見ましたし、私も元飲食業の人間ですから客層の良さと単価の逆相関については理解しているつもりです。

ちなみにこちらの記事がかなり的を射ていますので気になる方は参考までに覗いてみてください。

(参考→https://www.google.co.jp/amp/s/webtan.impress.co.jp/e/2008/10/29/4224%3famp)

 

なんの話だっけ、そうそう……牛丼屋の話です。

 

入店した人の仕草や振る舞いをさりげなく観察しながら、すでにオーダーを決めて入店してくるタイプのお客かどうか見極める店員が多いんですよ、牛丼屋って。

 

メニューに手を伸ばすかどうか、とか。

注文したがってるかどうか、とか。

 

とにかく観察して、相手にストレスがかからないようにさりげなくサービスを行うのって、ホスピタリティの基本であり究極でもあります。

 

私はいつもメニューを眺めて選んでしまうのですが、それをファーストコンタクトで読み取り、

『ご注文お決まりになりましたらベルでお呼びください』ってお茶を置いて立ち去るの、平然とやってますけど凄いんですよ。

接客においてかなりの高等技術なんですよ、アレ。

 

まあでも人によっちゃもうほぼハンディ開きながら来ますけどね。

熟練のおばちゃんなんて、もはや注文は私が決めると言わんばかりの速度でハンディ開きますからね。ビビります。

 

「どうせ牛か豚かカレーしかねぇだろオォン!?」

「いっちょまえに悩んでんじゃねぇ遊びじゃねんだぞコラ」

 

っていう声が聞こえてきそうです。

とにかく、過度なサービスも無駄な会話もない、ただ秒速でこちらにストレスをかけないまま注文を済ませて、お茶に少し口をつけている間に美味い丼が運ばれてくるんです。

 

私はあれこそ職人だと思いますね。

 

サービスでごまかそうとしない正々堂々とした飲食店の生き様を見せつけられる気分ですよ。

美容院も見習ってくれ。

「お仕事何してるんですかー」じゃねぇよお前、相手見て会話振れ。世の中には仕事してない人もたくさんいるんだよ黙って髪を切ってくださいお願いします。

 

閑話休題

 

ともあれいつも通り、チーズ牛丼にタバスコを6回振りかけ、今日はちょっと大人な気分だったのでさらに1振り追加してから食べ始めた私でした。

 

その瞬間、ふわりと面白い香りが鼻腔をぬけていくではありませんか。なんともミルキー、滑らかで芳醇な香り。

 

少し考えて、牛乳に似た匂いだと気づいたのですが、もちろん3種のチーズ牛丼にそんな隠し味は入っていません。

というか、なんならチーズがぶっかけられてるんだから隠れるも何もありません。

 

「牛乳が振りかかってるようなもんだし、当たり前か」

 

そう結論付けてもう一口食べている時に、ふと、「牛丼にチーズって、もしかしたらこの牛、自分が生きてたころに搾り取られた乳にまみれているんじゃないか。あの時搾取された乳と時を超えてこのほかほかご飯の上で邂逅したのではないか」と考えてしまいました。

 

キモすぎワロタ。

 

いや、でも確率的にあり得ることじゃないですか?

 

私は酪農や屠畜場の関係者じゃないですしすき家のバイヤーでも、商品開発部に従事する人間でもありません。

 

故にどんなルートでチーズや牛肉が仕入れられてるのかは分かりません。

でも、牛の肉の上に、その動物から搾り取った液体を腐らせて作ったドロドロの物体をかけて、唐辛子のエキスをぶちまけてから食べてるんです。

これを「美味い」と思ってるんですよ、マジで気持ち悪くないですか、人間。

 

宇宙人が見たら「キモすぎて草」って吐き捨てて逃げますよ、変態ですよ、変態。

誰かが「人間から味覚を奪えば人生の楽しみは半分以上消えて無くなる」とか言ってましたけど、いや確かにそうなんですけど、それにしたって味覚の変態という自覚があまりに足りなくないですか、人間。

 

「牛丼」とか「豚丼」とか「親子丼」とか名前をつけてはいますけど、どれほど格式張ったお店を開いたって実態は、自分たちの味覚を喜ばせるためだけに気持ち悪いことを平気で行う野蛮な生き物なんですよ。

 

だって、親子丼とか最高にクレイジーな料理ですよね。倫理どこ行った、って感じですよね。

想像してみてください。あなたはお母さんで、なんとかひり出した子供がどこかへ連れていかれて、自分は殺されて肉片となった後、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた自分の子供が降りかかってくるんですよ。グツグツ煮込まれるんですよ。

 

クローンとか、デザインベビーとか、そんな瑣末な問題じゃない。

鳥の親子をぐちゃぐちゃにして米にかけて食ってるんですよ、それ定食屋のカウンター席でもぐもぐ食いながらワイドショーのデザインベビーに関する議論を眺めて「人間が神の領域に踏み込むなんてありえな……ごくん。おばちゃんお勘定!」とか言ってるんですよ。こんなの神の領域どころか邪神や破壊神ですよ、もはや。

 

(補足しておくと、私は別に動物愛護活動を行なってるわけじゃないです。肉も魚もバンバン食べます)

 

しかし、料理の発明によって人生を飽きずに全うできるのも事実。味覚って本当に人生の満足度と直結してますよ。

食事や料理がなければ私たちはこんな味気ない時代を生きてはいけないでしょう。

 

生きててよかったーって思うのは大体美味いものを、最高に気の会う友達や恋人や家族と食ってる時ですもんね。

分かりますよ。

 

だからこそ、自分たちが「ど変態」だって気づくべきなんじゃないかなって、思うんです。

 

 

ところで、トロッコ問題という言葉をご存知ですか?

 

有名な思考実験のひとつですからご存知の方も多いですよね。

 

暴走したトロッコの先には線路の分かれ目があって、片方には数人の作業員、もう片方にはひとりの作業員が気づかず作業をしている。

 

あなたの手元には線路を切り替えるレバーがあり、このままトロッコが進めば複数人の作業員がいるレーンへ突入して彼らが全員死にます。

しかしあなたが、レバーを引けば、その作業員たちは助かります、そしてかわりにもう一つのレーンで作業をしていたひとりが死にます。

 

あなたはレバーを引きますか、引きませんか。

 

という悪魔みたいな思考実験。考えたやつ絶対友達いないよね。

 

ところであなたはどちらを選びますか。引くか、引かないか。

 

多くの方は引く、と答えると思うんですよ、人数的にも多くの命を救えますしね。

 

多数の命を助けられるならひとりを殺す方が良い、誰でもわかる簡単な論理です。

 

ではそのひとりの作業員をあなたの大切な人に置き換えましょう。

 

レバーを引き、レーンが変わった先にいるひとりが、あなたの大切な人だったら。

 

引けますか?

 

引いてくださいよ。

 

さっき「大勢が助かるなら」ってレバーを引く方を選んだんですから。

 

論理的な結論ですよね。

 

ひとりが死んで数人が助かる。

 

あなたはあなたの手で大切な人を殺し、かわりにたくさんの命を救いました。

 

讃えられて、感謝されて、助かった作業員のひとりから美人の娘さんを紹介されてしあわせな家庭を築くかもしれません。

 

あぁ、なんて幸福なんでしょう。

 

……そんな風に割り切れないから、私たちの生きる世界は辛くて苦しい。

 

こうやってジレンマについて思考するだけで、息が苦しくなってきます。

意地悪な質問をしてすみませんでした。

 

この思考実験が教えてくれるのは、別に大勢のために自分を差し出せとか、世界を敵に回してでも自分の大切な人を守れとか、そういう泥臭い精神論じゃありません。

 

「選択に責任を持て」ということです。

 

レバーの前に立ったあなたはレバーを「引く」「引かない」という決断を下せます。

 

その選択に責任を持つために、いざという時に迷わないように、普段から思考し続けろということです。

 

レバーを引く瞬間はいつだって突然訪れます。

 

代行のお金をケチって、忘年会の帰りに飲酒運転で帰ろうと車にキーを差し込む瞬間。

 

久しぶりに友人から「飲みに行かないか」とだけ書かれたメールを受け取って、不自然さを感じながらも忙しさを理由に断る瞬間。

 

有名な落語家、立川談志さんはガンを宣告された時にこう考えたそうです。

「世の中いきなり死んでしまう人がたくさんいる中で、死ぬ準備が出来るだけありがたい」

と。

 

レバーを引く準備ができる状況に、私たちはいつでも居られるわけではありません。

 

突然レバー前に立たされた時、迷わないように、普段から哲学を備えておく必要があるのだと思います。

 

あなたにとってのたったひとりの作業員は、今どこで何をしているんでしょうか。

 

なぜ突然こんな話を始めたかというと、3種のチーズ牛丼を食べていたら突然不安になってきたんです。

 

私なんにも知らないんだ、って。

 

牛が殺される瞬間も、チーズがどうやって作られるのかも、すき家で働く疲れ切ったお兄さんの過去も未来も何も知らないんですよ。

 

知らないまま、お金だけ払えば結果が手に入る。

 

美味しい「牛丼」って料理は運ばれてくるし、それを食べれば満足しちゃうんですよ。

 

人生も悪くねぇな、なんて思いながらタバコに火をつけてしまうんですよ。

 

本当はその過程に意味があると思うんです。

 

牛はどうやって殺されて、すき家仕入れられるチーズはどうやって作られて、お兄さんの名前や夢はなんだったのか知って、うまくいえないけどそういう過程の部分が見えないベールに覆われているのが今の時代なんじゃないかって思うんです。

 

お金を払えば、確かにそういう面倒なところは見なくて済む。

手軽に人生の美味しいとこどりができる。

 

でも、悩んだり思考したりする時間が失われている。

 

お金じゃ買えませんよ、レバー前に立たされた時のシンキングタイムは。

 

普段から、自分の選択について責任を持つために考える癖をつけておかないと、いざという時必ず後悔します。

 

私たちって命や生きる意味に執着する変態なんです。

 

変態は変態らしく、命に真っ向から向きあってみませんか。

昨今のインスタントすぎる命の消費に、ちょーっとばかし疑問があったので言語化してみました。

読んでいただいて、ありがとうございます。

 

などとカフェでカタカタ綴っている私も、立派なド変態なのでした。そしてこれを読んだあなたも。

 

変態同士仲良くしましょう、よければブクマお願いします。

amazarashiと雨と海が私にとっての救世主だった

初めまして、ふわとろオムライスになりたいだけの人生でした、一身上の都合です。

ふざけた名前の私ですが、それなりに悩み多き青春時代を送ってまいりました

いじめられたり、引きこもったり、土砂降りの雨のなか、海まで自転車で行って8時間くらいamazarashiの「光、再考」「少年少女」「僕が死のうと思ったのは」という曲をリピートしたりとthe青春って感じの日々を過ごしてました。狂ってんな。

それでもやはり当時どん底にいた私としてはその日々に疑いなんぞ抱くわけもございません。正しいのは私と、私を優しく包み込む昏いカルチャーである。明るい日々を送りポップスを聴いてる奴らの方が狂ってる、と本気で思っていたんですね。今となってはその限りではないことを理解しています。

さて、その当時私にどんなことが起こっていたのか詳しい話はまた後日綴るとして、今回はそんな仄暗い青春を送る、または送ろうとしている同胞へささやかな援護射撃をさせていただきたく筆を取りました。

私がなんで海に行って、8時間も同じ曲をリピートしていたのか。端的に言えば「居場所を作るため」でした。私にとって……いえ、当時の私にとって居場所とは温かい料理を家族で囲んで座る明るいリビングの一席でも、賑やかに文化祭の準備に勤しむ同級生との会話の中でもありませんでした。

それは夜のように濃密な灰色が街を満たした昼下がり。まるで空が落ちてくる予兆みたいに降りしきる雨。私ごと世界を丸呑みにせんと波を荒立たせて待ち構える日本海。雑音をシャットアウトするように耳にはめたイヤフォンから響くamazarashiの曲。雨によって体温が徐々に奪われ、肌に張り付いた服は機能性を諦めて、私は水をたらふく含んだボロ雑巾のように海と、雨と、融合していく。

そのさなか、思考すら手放して身を委ねる音楽がamazarashiで、私は私であることを放棄しているその瞬間に居場所を見出していました。決して、決して誰にも触れられない心の柔らかな部分を、私はその危うげな時間にのみ直視することができたのです。それは同級生や親兄弟から見れば愚かだったでしょうし、理解しがたい光景かもしれません。精神病を疑い、人目を避けて精神病院へ入院させようとしたかもしれません。

とにかく、私は私になれる場所が必要でした。それが、たまたま私の場合は、明るいリビングでも、同級生が色めき立つ放課後の教室でもなかった。それだけなんです。

それでも、私のような存在は肩身の狭い思いを強いられることになります。それは多くの場合、少数派で、声が小さく、態度も小さく扱いやすい人ばかりだからでしょう。私は例外ですが。

いずれにせよ苦戦を強いられる私たちですが、決して孤立無援というわけではありません。少なくとも私は孤りではありませんでした。音楽で、文章で、受け手であれ送り手であれ誰かと繋がることができました。願わくば私が今綴るこの言葉も、誰かの心に入り込み、使い捨てであったとしても盾の役割を果たして欲しいと願っています。

さて、苦戦を強いられる私たちに必要なのは多数派に擦り寄る勇気でも、上手く生きるための狡猾さでもありません。多数派すら跳ね除けるような頑強な精神でもありませんし、ナイフやロープで命を削ることでもないのです。

救世主が、必要なのです。

アメコミのヒーローを思い浮かべがちですが、そうした正の正義である必要はありません。ヴェノムに救世主をみつけても良いのです。重要なことはあなたの世界を救う存在を、あなた自身が見つけることなのです。人じゃなくてもいいです。物語でもいいし物でもいい、色でも建築物でも虫でも構いません。

言い換えればあなたの居場所です。私にとっての雨や海や黒雲や音楽のようなものを、誰にも理解されなくてもあなたが心から理解できるものを、蓄える必要があるのです。

これは一種の暗号のようなもので、明るいリビングや教室の会話に自分の居場所を見出せる人たちには決して読み解けません。そうした多数派に弾かれたあなたにのみ本当の意味で読み解ける文章を、あなたのために、書いています。

もう一度繰り返しましょう。よく覚えていてください。

誰にも理解されなくてもあなたが心から理解できるものを探してください。明日の課題より、くだらないグループラインへの返信より、未来より家族より彼氏より彼女よりバイトより重要な任務です。

無理に多数派に擦り寄ることは悲しく愚かです。自殺に他なりません。

器用に立ち回ることは一見良案に思えますがやはり無理がたたり心が壊れます。先送りに過ぎません。

多数派を跳ね除ける頑強さを持つことは大抵の場合、怒りの対象を変えているに過ぎませんから、この先大切な誰かが見つかった時により深い後悔や悲しみを連れてくるでしょう。

同じ轍を踏まないよう、私はあなたにお願いをします。

あなた自身を諦める理由なんて、どこにもありません。

笑われようが貶されようが、あなたがあなたでいられるクレイジーな世界を作ってください。あなたのためだけの空間をデザインして、心の柔らかい部分を、そこにいる間だけは優しく撫でてあげてください。できれば声を聞いてあげてください。大人になると、その柔らかな部分は歪さとして残ってしまいます。

あなたがあなたの居場所を自力で作れないのであれば、どうか、私でも周りの信頼できる人でもいい、そのことを包み隠さず話そうとしてください。

話さなくてもよいです。話そうとしてください。

あなたはあなたの救世主を見つけるために、そうする義務があるのです。

その命、その哲学、見殺しにするにはあまりに惜しい輝きを放っています。価値を見誤らないで。